
映画『ドールハウス』の発端となったのは、ある無名の新人・カタギリが書き上げたプロットだった。2022年秋、矢口監督から「脚本家志望の子がこんなの書いたんですけど」と本作のプロデューサーである深津智男へ、さらに企画・プロデュースの遠藤学の手に渡ったことから始まる。
「普段、かなりの数のプロットや脚本に目を通していますが、どんな感じかと思って読み始めたら、並のプロットではなかったんです。次から次へと話がドライブしながら展開していって、斬新なアイデアを各所に密度濃く詰め込みながら、ノンストップで進んでいく。最後には読み始めたときとは全然違うところに連れ去られていて、新人ということでしたが、これはかなりの手練れの仕事だなと。プロットを書かれたというカタギリさんのお名前を検索してみたんですが、全然引っかからなくて、何かおかしいぞって思ったんです」(遠藤)
人形をめぐるミステリーより前に起きていた、正体不明の新人“カタギリ”をめぐるミステリー!? 結論から言えば、その正体は他ならぬ矢口史靖本人だった。「あれよあれよと企画が進んでしまって、その若いのはどこのどいつだ!ってなって。嘘をつき通せなくなって、途中で白状しました(笑)。出来れば謎の新人監督の怖い映画として作りたかったんですけど‥‥」と矢口。
「ミステリー映画はずっとやりたかったんですが、どちらかといえばハッピーな映画を撮り続けて来たので、僕の名前が足を引っ張ってしまうと思ったんです。恐ろしい表現を描いたときに、僕の作品だと分かって観る方は引いてしまうんじゃないか、嫌われてしまうんじゃないかと(笑)。僕もそれで手加減してしまう気がして、マイナスのほうが多いなと思っていたんです。だから誰かのせいにして、なんの負い目もなく好き放題に作れないかなと(笑)。
あと、逆に矢口史靖が監督するということで企画が動くというのも嫌だったんです。どこの誰かも分からない新人が書いた、スリリングで面白い映画がどこまで前に進んでいくのか見てみたいというのもありました」(矢口)
正体こそバレてしまったものの、ひたすらスリリングで面白い映画であるのは誰しも認めるところ。企画立ち上げもまたミステリーだったこれまでにない矢口史靖監督作品、そしてかつてないドールミステリーはこうして動き出した。



矢口史靖監督が、「ドールハウス」の発想の原点だと言うのが“生き人形”。「怖いもの見たさというのも、エンターテインメントの大事な要素だと思うんです。僕自身、怖いものなら漫画でも映画でも、怪談も大好きで。「ドールハウス」のようなミステリー映画をいつか作りたかったんですが、アイデアが上手くまとまることもなかったんですよ。でも、コロナ禍のときに時間があって、いろいろ考えている中で出てきたのが、昭和初期に作られた生き人形にまつわる話。以前、知り合いの夫婦から、はく製を作ってペットロスを回避したという話を聞いていて、ドールセラピーで子供の身代わりとして買った人形を可愛がっているうちに、変な出来事に巻き込まれていく物語が生まれました」(矢口)
脚本作業にあたって企画・プロデュースの遠藤学は、「色々なエピソードがあったのですが、監督とストーリーを作る過程でうまくエンタメにしていただきました(笑)」。


主人公で人形の秘密に迫っていく鈴木佳恵を演じたのは、『WOOD JOB!〜神去なあなあ日常〜』(14年)でも矢口史靖監督と組んでいる長澤まさみ。
「監督と新しいジャンルで再度ご一緒されることで、これまでにない長澤さんを見られるんじゃないかと思いました。実際、想像以上のお芝居で、「カット、OK!」の直後に監督がサムアップをした箇所が3つあるんです。ファーストシーンの叫び、グループセラピーで泣くところ、あとひとつは映画を観て確かめて頂きたいのですが、人形に感情が高ぶる、とあるシーンです」と遠藤学。「冒頭の叫びは、観客を引きずり込む衝撃的なシーン。そこから物語が始まるので、胸が張り裂けるようなお芝居にならないとお客さんも乗っていけない。あの表情を見て、長澤さんで良かったなと思いました」と矢口監督。
佳恵の夫である鈴木忠彦に扮したのは、瀬戸康史。「あの可愛らしくて爽やかな瀬戸さんが変な出来事に遭遇したら、本当に可哀想に見えるんじゃないかと (笑)。求めたのは、普通の生活者としての旦那さんかつお父さん。台本の読み合わせのときにあえて“適当にやってみてください”と、アドリブ含めて自分の言葉で長澤さんと掛け合いしていただいたんです。それがすごく良くて、その雰囲気でお願いしました」(矢口)。
ほか、忠彦の母・鈴木敏子に風吹ジュン、刑事・山本に安田顕、そして呪禁師(じゅごんし)・神田に田中哲司。佳恵と忠彦の娘・芽衣を本田都々花、その後に生まれた真衣を池村碧彩、心療内科医・竹内良子を西田尚美、僧侶・寺嶋を今野浩喜、人形博物館の池谷宗治を品川徹が演じている。「変な人形に家族が翻弄されてゆく物語ですが、舞台は家の中だけでなく、外へ外へと‥‥寺院、神社、警察、オカルト系ユーチューバーなども巻き込んで、謎を解くほどミステリーが加速してゆくようにしたかったんです」と矢口。キャストそれぞれの怪演も注目だ。


本作のもうひとりの主役となるのが、アヤと呼ばれることになる少女人形。このアヤの人形は、特殊メイク・特殊造形の藤原カクセイ(ダミーヘッドデザインズ)が矢口史靖監督のイメージを基に製作。「亡くなってしまった娘の芽衣に似せた、等身大のリアルな人形にしたかったんです。撮影中はアヤ人形につきっきりで、どのアングルがアヤを妖艶に見せられるかばかり考えていて、俳優さんよりアヤ人形に対する指示のほうが多かったと思います。長澤さんは嫉妬しているかもしれないですね(笑)」と矢口。
人形のヒントとなったのは、江戸時代から伝わる日本の細工人形で、等身大の人間をリアルに模した“生き人形”。そこにビスクドールや球体関節人形のイメージも取り入れ、作られている。こだわりは生身の人間同様に顔が左右非対称となっている点で、それによって角度違いで表情も変化。撮影では、精巧で重みもあるクローズアップ用と、子供も持ち運べる軽い素材のアクション用の2体が用意された。
その最初の撮影は、佳恵と忠彦がアヤをベビーカーに乗せてショッピングしているシーン。現場入りした長澤まさみと瀬戸康史は、人形を見て「アヤちゃんの顔が変わってる!?」。これ以前にふたりはスチール撮影でアヤと対面していて、顔が変わったとなればまさにミステリー! 実はメイクを施していたからだったが、遠藤学は「現場に行くたびに写真を撮る中で、確かに日によって表情が全然違っていましたね……」とも語っていて、本当に顔自体も日々変わっていた!?


本作がクランクインしたのは、2024年3月24日。長澤まさみ演じる佳恵が自転車で出かけていく映画冒頭のシーンからスタートして、忠彦を演じる瀬戸康史も同日の夕方に鈴木家の外のシーンから撮影入りしている。演出に際しては、「変なことが次々に起きる映画だからと、最初からファンタジーで描いてしまうとお客さんの気分も離れてしまう。人形が起こすアクションをあからさまに写すよりも、それを見てしまった人間のリアクションの方が大事です」と矢口史靖監督。
矢口監督のこだわりはロケーションや小道具にまで及ぶ。田中哲司演じる呪禁師・神田の所作や道具類はもちろん映画内のフィクションであるが、まるで実在するかのような緻密さ。
クライマックスに登場する“神無島”も、鹿児島県にある実際のロケーション・知林ヶ島を使って撮影された。干潮になると一本道が現れるという知林ヶ島。監督のこだわりにより、島に渡るシーンのためだけに鹿児島ロケを敢行した。
演出や映像、そもそもの物語においても斬新な本作。遠藤は、「監督があるシーンを『攻殻機動隊』のようですね、と言われていて、そういう発想でこういう映画を撮る人って、あまりいないと思うんです(笑)。そういうところがこの映画のオリジナリティですよね。スリリングな映画ではあるけれど、スタイリッシュでクールな方向に持っていって、今までの日本映画にない新しいものを作ろうという話は監督とずっとしていました。音楽もそうで、まだ脚本製作の時期に、監督が“ドールハウスイメージアルバム”と書かれた参考曲集をくださったんです(笑)。それも現代的でカッコ良い打ち込みの音楽ばかりで、そこで映画のルックや方向性が見えました」。
東京近郊で主に撮影は行われ、撮影期間は約1カ月半で、長澤は4月29日に旅館の部屋のシーンでオールアップ。瀬戸は5月11日に実家のシーンで撮了して、この日に本編自体もクランクアップを迎えた。
